浅草が靴の町になった訳は?



浅草には、皮革工芸や靴屋さんが多いですね。これには、明治はじめの皮加工や靴製造の職人養成など、靴作りの歴史が浅草から始まったことが影響しています。『靴の町浅草』の歴史についてお話しましょう。

■浅草に靴職人養成所があった!


江戸時代の履物といえば草履や下駄。皮で作られた靴が一般化したのは、明治以降の話です。
とはいっても、それまでも日本では、馬具やステイタスを醸し出す服飾品など、特別な用途に使われるべく、高い技術が培われてきました、
皮を扱うことができるのも許可制でした。
現在の台東区今戸に大きな屋敷を構え、皮取締の特権を持った弾左衛門(後の弾直樹)は、明治を迎えたあとは、軍靴の需要が伸びると見込んで、靴製造の修伝所を作りました。
中国人の職人、アメリカ人チャールス・ヘンニンゲルを講師に迎え、この時に考案された製法で作られた皮は、“チャールス”にちなんで「茶利皮」と呼ばれました。
隅田川に水利を求めて、浅草橋場町に工場が作られたのが明治4年のことでした。
精力的に、皮・靴加工技術者の養成を行い、数百人の靴職人が浅草から巣立って行きました。
この名残から、浅草は靴屋が多く、靴の町と呼ばれるようになったのです。

■産業研修センター内に『皮革産業資料館』


そんな革製品と靴作りに縁ある土地柄なだけに、産業研修センターには、『皮革産業資料館』(台東区橋場1丁目36−2)があり、これまでの革靴の歴史を伝えています。
浅草からは少し離れていますが、隅田川沿いの同センターへの道すがら、平賀源内の墓がある、『総泉寺』、対岸にはかつての靴工場も見られ“靴の町”の歴史を感じることができます。
古くは、火事装束として身につけられた鹿革の頭巾と羽織、刀の外装など、皮の持つ丈夫な性質を利用していた革製品の展示もみることができます。
戦時中に作られたという「犬皮の靴」など珍しいもの、大阪万博でタイムカプセルに入れたというリーガルシューズ、ホームラン王「王貞治のスパイク」など靴の歴史がずらりとならんでいます。

■東京製の革靴の魅力


靴作りと聞いて、神戸を連想する方が多いかもしれませんが、その発祥はゴム製品の発展とファッション性で広がった経緯があります。
しかし、東京での靴作りは、堅牢な軍靴を作る技術の研究からスタートしているので、本格的な革靴というジャンルでは分があります。
現在も、東京ではヒールや靴底などの材料専門販売者、靴販売メーカー、問屋、職人や技術者が浅草から足立区、墨田区、荒川区、葛飾区にかけて集まっています。
履き心地や作りへのこだわり、東京らしい都会的なセンスが活かされた靴が、東京から発信されており、“その原点が浅草だ”と言うわけです。