浅草と寄席の意外な関係



浅草は演芸の街といいますが、寄席についても街の発展に寄与していることは確かです。 今回は浅草と寄席の歴史について触れていくことにしましょう。

歴史

寄席の歴史といえば、かなり前の時代までさかのぼります。江戸時代の半ばになるとそれまでの落語や演芸は専用の場所すら用意されていなかったのです。しかし、演芸などが気持ちよくできるよう環境が整備する必要があることから、寄せ場が誕生しました。 こうして安心して演芸や落語などができる場所が確保され、江戸や大坂(上方)では落語を中心に盛り上がり、江戸落語や上方落語などといったそれぞれの地域の落語が誕生していったわけです。今ではラジオやテレビ、インターネットなどといった文明の利器がありますが、そういったものがまだ無い江戸時代ですので、自分たちの家から寄せ場までわざわざ出かけてまで落語や演芸を楽しむことができたのは、その時代の風俗習慣が物語っていることでしょう。 寄席が広い意味で知られるようになったのは、戦後になってからのことでまずはラジオで寄席が放送されるようになると、それを追うかのようにテレビでも落語を中心としたさまざまな演芸が放送されるようになりました。もちろん、寄席も健在でテレビやラジオなどではじかに味わうことが難しいライブ感を、直接味わうという意味では今も昔も変わっていないのは言うまでもありません。

デート

もし、デート先が浅草ならば花やしきや浅草寺、それに仲見世通りでお買い物やグルメめぐりのあとに、2人で寄席を見てはいかがでしょうか。寄席は当日にすぐ入れることが多いので気軽に行けます。 落語家の目線や間、独特な語り口は話に引き込まれます。最後を飾るトリがうまいと気持ちよく帰れそうです。歴史のある寄席は、空気感も独特でおすすめです。一緒に楽しい時間を共有できるといいですね。

それ以外の目的

落語というと、まだ日本の伝統芸能というイメージがあり、入りづらいイメージをお持ちの方もいらっしゃるかと思います。ですが、最近は落語好きの若者も増えているようで、若手のかっこいい落語家には追っかけもいるそうです。 気の合った友人を誘ってのお出かけスポットとして落語の寄席などへ足を運んだり、女子会のついでに立ち寄ってから帰るという目的で訪問される方がいるくらいで、落語をはじめとしたさまざまな演芸を楽しめる意味でも、寄席と浅草、それぞれの文化は大衆芸能として発展してきたのでしょう。

まとめ

今回は浅草と寄席の意外な関係性について調べてみましたが、歴史ある寄席も今でもなお皆様に愛され続け、同時に浅草が発展していったことを象徴しているといっても過言ではありません。 東京都浅草近辺で不動産の売買をお考えの方は、「株式会社日本不動産」へご相談ください。お客様の立場に立って、お取引の成立までサポートさせていただきます。